ニーラゴンゴ火山被災者支援終了報告

報告:分部真由美(ARCルワンダ事務所・インターン:当時)

 (1)概要:「アフリカへ毛布を送る運動」から、ゴマのニーラコンゴ火山噴火被災者難民のために送られた5000枚の毛布配布を、ARCルワンダ事務所がJesus Alive Ministries (JAM、現地で活動する国際NGO)の協力を得て行った。
 (2)日時:2003年6月17日
 (3)場所:コンゴ民主共和国ゴマ(ルワンダとの国境沿いに位置)

●2003年6月16日
 この日ゴマでの毛布配布のため朝6時30分にJAM現地代表がルワンダの首都、キガリにあるARC事務所まで迎えにきてくれ、それからギセニへと向かいました。ギセニはコンゴ民主共和国と国境沿いの町で、そこからゴマへは車で30分ほどの距離にあるのです。4時間ほどでたどりつき、キブ湖を眺めることのできるREGINA HOTELに宿泊する事にしました。この日毛布配布ができてもできなくても、夜を越すのはルワンダ国内の方が安全だからです。もちろんすぐにでも毛布配布を始めたいところだったのですが、毛布とボランティアたちを乗せたトラックがまだ到着していなかったのです。5000枚の毛布を運ぶのは、道の悪さやここがアフリカということを考慮すれば、そうたやすいことではないのです。それらが到着次第ゴマに出発する予定でした。しかし、暗くなってからでは国境を越えることはできないし、トラックも結局姿を見せることは無かったので、この日は結局ゴマに出発することはできませんでした。5000枚の毛布をルワンダからコンゴ民主共和国に運ぶための書類手続きを完璧にしてあったにもかかわらず予定通りに行かないのがアフリカのようです。無関税で毛布をルワンダに入れたのにも関わらず、それをコンゴで配るというのはルワンダ政府としては納得がいかないのでしょう。とにかく翌日無事に大切な毛布を乗せたトラックが到着するのを祈るばかりでした。

●2003年6月17日
 前日の話では朝トラックが着くはずでしたが、その姿はどこにもありませんでした。いつゴマにいけるかは誰も分かりませんでした。しかし午後過ぎにようやくトラックは到着し、国境を越えゴマへ向かうこととなりましたが、国境越えは時間を要するため、ゴマの毛布配布現場の準備が整い次第、誰かが私を迎えに来るということとなったのです。日が暮れ始めていました。私の不安が募る中、ようやくモーターバイクに乗って、JAMのボランティアが私を迎えに来てくれたのです。バイクで急いで毛布配布現場に向かったのです。でこぼこ道を進むにつれて貧困化が激しく、衛生状態もかなり悪くなっているように思えました。遠くにそびえる山々には霧がかかり、標高の高いこの地はとてもひんやりとしていました。美しく雄大な自然ではありますが、それらから住民たちの厳しい生活状況を想像することができました。ゴマに近づくにつれて去年の噴火時の溶岩が道路の脇で確認できます。去年の緊急援助時に毛布配布を行った同じ教会を配布場所と設定していましたが、去年とは違い緊急避難民のためのテントや教会の外や中で避難生活をしている人たちはもはやいませんでした。
 教会に入ると、整列してはいるものの教会いっぱいの難民とボランティアたち、またその熱気と人々の話し声で、締め切られた教会は今にもパンクしそうでした。電気は通っていないため真っ暗でしたがたくさんの人が私を凝視しているのを感じ取ることができました。扉を締め切っているのは、日本から届けて頂いた大切な毛布が強奪されないようにです。
 JAMの代表や現地ボランティアたち、さらに教会の主教が前に並び開会を宣言し、教会全体で感謝のお祈りを行いました。その後は、リスト通り穏便に毛布を配布するため一度難民達を教会の外に出し、名前を呼ばれた人から1人ずつ毛布を教会内に取りにいくという手順でした。このリストというのは、JAMのソーシャルワーカーが毛布配布に先立って数日前にゴマに入り、誰が火山噴火によって家を失い、難民となったかを確認し作られたものです。強奪や混乱を避けるために入り口も一箇所、出口も一箇所に設定していましたし、配布を行うボランティアたちも自分たちの役割を把握し、配布は順調に行われていました。名前を呼ばれた人は後方の扉から入り、教会の真ん中を進み、毛布の積まれたところまで行くと日本製の暖かい毛布を受け取ることができるのです。リストに載ることのできた人々は自分の名前が呼ばれるのを聞き落とさぬよう、必死でボランティアたちの声に耳を傾けていました。組織的な配布の様子をみて、私も落ち着いてこの現場をデジタルカメラとビデオで記録していくことができました。しかし、ビデオを片手にあちこち撮影していると、突如出口のはずの扉が勢いよく開き、たくさんの人々が毛布を目掛けて流入してきたのです。思わずビデオを撮りながら、「NO!NO!」と叫んでしまいました。必死で毛布を奪おうとする人々と、必死で毛布を守ろうとするボランティアたちで辺りは一時騒然となりました。毛布を受け取れるリストから漏れた人々は、無秩序にも毛布を奪っていったのです。もはや毛布配布どころではなく、この騒動を治めるためにボランティアたちは椅子を持ち上げて威圧したり、口論をしたりするはめになってしまったのです。たくさんの人たちが勢いよく教会内に押入ったために、脱げ捨てられた靴やビーチサンダルがあちこちに散乱していました。奪われた毛布の数は数十枚だと思います。私は少し残念に思いましたが、これが現実でもあります。この日はもう夕暮れ時だったことと、この混乱で本格的な毛布配布は翌日からということになりました。私はこの日ゴマを去らなければならなかったのですが、後の報告によれば、翌日からの配布はどうやら順調にいったようです。
 外に出てみると、毛布を受け取る事のできた人たちが、強奪した人たちも含め嬉しそうにそれを抱え、「ありがとう」と感謝の気持ちを言っていました。強奪した、と言っても、彼らは悪びれる様子もなく本当に嬉しそうな顔で、毛布を手に入れることができた人たちと喜びを分かち合っていました。でも私はこれらの行為を非常識だと感じます。ただ唯一彼らの行為が教えてくれることは、心の貧困、問題です。劣悪な環境の中、人間らしい生活が営めないことの意味の大きさを知ることができるのかもしれません。
 正直、火山被災者難民だけでなく、ここに来るまでに見た貧しい人々すべてに暖かい毛布が必要なのではないだろうかと感じています。気候的な寒さと貧しさ、自然災害、たくさんの困難の中生きる人々が、日本から送って頂いた毛布で少しでも暖かい夜が過ごせることを願います。それと同時に、彼らにも、何千枚もの毛布がなぜ、どうやってわざわざ送られてきているのかの意味を理解し、送ってくれた人々への感謝の気持ちを心に抱いてもらいたいです。どれだけ多くの人が、どれだけの努力をして毛布をここまで運んでくれたのかを想像してほしいのです。「Peace」「Love」、毛布に縫い付けられた一つ一つのメッセージ、少しでもゴマの人たちの心に届いていることを願います。
 私が今思う事、それは人々の思いが結ぶ人間の輪です。遠く日本から何千枚もの毛布が船に乗せられ数ヶ月を要してやっとアフリカ大陸に辿り着き、それから内陸国であるルワンダ、そしてコンゴ民主共和国、ゴマまで運ばれてきたのです。誰もが知っていますが、ゴマと日本はとってもとっても遠いのです。その距離を乗り越えられたのは、一人一人の思いが少しずつ繋がって途切れることなく確かな輪を作ったからなのではないでしょうか。私はそう考え、その輪をなしたすべての人々に感謝すると共に尊敬の意を表します。たくさんの人々の暖かい思いが今こうして確実に届けられていることを確認し、それを今ここに報告させていただきます。

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