第1回セミナー「ウガンダ児童兵士の実態」

講師:下村靖樹(リアルタイムプレス

アフリカを専門とするフリージャーナリスト。
チャイルドソルジャー・ルワンダ内戦・ソマリア内戦・エボラ出血熱・HIV/AIDS・マウンテンゴリラなどを継続取材中。
<著書>ソマリア〜ブラックホークと消えた国(インターメディア出版)
   マウンテンベイブ(長崎出版)

講義内容

 1894年にイギリスの保護領となり1962年に独立したウガンダは、かのチャーチルが「アフリカの真珠」と称したほど、豊かな緑に恵まれた非常に美しい国だ。しかし多民族国家である同国は、悪名高いアミン大統領をはじめ、独立以来現在までに5度も軍事力による政権移行が起き、その度に多くの血が流されてきた。1986年、現大統領であるNRA(国民抵抗運動)のムセベニ氏がクーデターにより政権を奪い、ウガンダの内戦は一応の収束を迎えた。しかし、北部地域で最大の勢力を持つアチョリ族は、ムセベニ氏の統治に強い不満を持ち、強いカリスマ性を持つアリス・ラクウェナ(当時28歳)という女性をリーダーとしてHoly Spirit Movement(聖なる魂の運動・以下HSM)を創設し反政府活動を開始したが、1987年、首都カンパラから80キロまで侵攻するも敗退し、アリスはケニアに逃亡した。そしてその後を継ぐように誕生したのが、アリスの心酔者だったジョゼフ・コニーをリーダーとするLRAだった。

 当初は「我々は腐敗した政権を倒すために決起した農民革命であり、十字軍である」と声明を出し、アリスの後釜として北部人の支持を得ていたものの、時がたつにつれLRAは当初の方向性を見失い、戦力を維持するために支持者であるアチョリ族の村を襲い、略奪・子どもの誘拐を始めた。ウガンダ軍グル地区広報官のレオナルド氏によると、現在までにグル地区だけで2万人近くの住民が殺害され、2万6千人以上の子どもが誘拐されているという。

 「なぜ子どもを兵士にする必要があるのか?」それには理由がある。体力も判断力も大人の兵士よりは劣るが、その反面思想の刷り込みがたやすく、脅しや暴力にも弱いため、大人よりも死を恐れない勇敢な兵士となり得る。さらに近年軽火器の軽量化が進み子どもの力でも十分扱えるようになったため、兵力不足に悩む軍やゲリラにとっては格好の兵士となるからだ。

*ウェンディー
 「私は10歳の時に誘拐されたわ。一度は逃亡に成功したんだけど、すぐに見つかってしまって、見せしめのために銃で撃たれたの」と、わき腹の傷を見せてくれたのは2人の子どもの手を引いたウェンディー(仮名・20歳)だった。
 彼女は1992年8月の正午過ぎ、小学校での授業中に誘拐され、スーダンに連行された。そして当時まだ12歳だった彼女は、すでに2人の妻を持つ40歳の司令官と結婚させられ、14歳で一人目の子どもを出産したという。
 1988年に二人目の子供を出産した彼女は、長男の手を引き、長女を背中に背負い、AK-47を手に戦闘に参加した。
 「確実に何人かは殺したと思う…。はっきりと相手の顔は覚えてるわ。でも戦わないと、この子たちが死んでしまうもの」
 ウェンディーが手にして戦ったAK-47は、スーダン政府の支給品だったという。ウガンダ政府・LRA・スーダンの関係は「敵の敵は味方」という論理で成り立っていた。イスラム国家スーダンはウガンダと国境を接する南部にキリスト教徒主体のSPLA(スーダン人民解放軍)というゲリラを抱えている。スーダン政府を快く思っていなかったアメリカの意を受け、ウガンダはそのSPLAを支援していため、スーダン政府は対抗すべくゲリラであるLRAに対し武器・弾薬・資金などの援助をしていたのだ。
 ところが2002年、ウガンダ政府とスーダン政府が和解し、長年続いてきたその歪んだ関係に終止符が打たれた。そして「お互いの反政府ゲリラに対する支援を即刻打ち切り、共にゲリラを殲滅する」との協定が結ばれ、その直後の3月、ウガンダ政府はスーダン政府の許可を得てスーダン領内にも軍を駐留させ、「IRON FIST(鉄の拳)」と名づけられたLRA殲滅作戦を開始した。
 「IRON FIST」作戦に対するムセベニ大統領の意気込みは大きく、アメリカ政府にテロリストであると名指しされたLRAのリーダーであるジョゼフ=コニーに対して1万1千USjの懸賞金を懸け、自身も前線であるグル県に半年近く逗留するなど、本腰を入れてLRAをつぶしにかかっていた。また「テロリストを世界から一掃する」その名目で、アメリカ政府も2002年12月上旬3百万USjの援助を決定した。
 「IRON FIST作戦はすでに80%が完了した。3千人以上いたLRAの兵士はすでに千人以下になり、チャイルドソルジャーの救出も順調に進んでいる」とウガンダ政府軍は発表しているが、今年2月下旬、リラ地区のバルリョノ村が焼き討ちにあい259人が死亡するなど、残念ながら未だウガンダ北部地域ではLRAによる襲撃や誘拐が頻発し、現在も数十万人の人々が自宅を離れ、IDP(Internally Displaced Persons)キャンプでの生活を余儀なくされている。
*ドロシー
 18歳のドロシー(仮名)は1996年1月、友人5人と学校からの帰り道に誘拐され、ウェンディー同様40代の指揮官と強制的に結婚させられたが、3人目の子どもが生まれたのを期に、夫に許され一昨年6月に解放された。「たぶん自分がいつ死ぬか分からないから、自分の子どもをこの世に残したかったんでしょうね。あの男を愛してはいないけど、感謝はしているわ」小柄でシャイな彼女は、笑顔さえ浮かべながら、おっとりとした口調でそう語った。しかし、続けて「ゲリラの生活で一番辛かったことはなに?」と質問すると、乱暴に子どもを抱き寄せ「もし、あいつとまた会うことがあったら、何があっても絶対に殺してやるわ!」と表情が一変した。
 「絶対に殺す」と人前で口にするほどドロシーが憎んでいるのは、同時に彼女と誘拐された同級生だという。
 「私たち5人は、とても仲の良い友達だったわ。だから誘拐されてからも、いつか逃げ出せる日がくるはずだからと、お互いに励ましてあって頑張っていたの。そしてあの日、やっとそのチャンスが来たのよ。極端な水不足で、私たち5人は部隊から20キロも離れた川まで水を汲みに行かされることになったの。みんなでどうやって逃げるか、前日にそっと話し合ったわ。そしてその当日、計画通り水を汲みに行くふりをして、容器の中に少しの食料を入れて部隊を出ようとしたの。そしたら突然兵士がすごい力でその容器を奪い取って中を覗いて、ニヤッと笑ったのよ。その瞬間私たちは辺りにいた兵士たちに蹴り倒され司令官の前に突き出されたわ。あいつを除いてね…。あいつが私たちを売ったのよ!」
 ドロシーの同級生は二人がその場で銃殺され、ドロシーと残りの一人はドロシーの夫である指揮官の計らいにより、ムチ打ち6時間の刑に減刑された。
 「あいつはムチでぶたれる私を冷たい目でじっと見ていたわ。あの目…、絶対に忘れない!」
*マイケル
 当時17歳だったマイケル (仮名)は、政府軍との戦いで、全身に15発の銃弾を受け、瀕死の重傷を負った。幸い奇跡的にその命はとりとめたものの、左頬から入り右眉付近に抜けた銃弾により、その両目の光は永遠に奪われ、さらに腰を貫いた弾は左足の自由を奪った。
 「ゲリラとして戦っていたときのことは、もう考えたくないんだよ。今は一生懸命勉強して盲学校の先生になって、僕と同じように盲目で苦しんでいる人たちを助けたいんだ」
 彼がLord’s Resistance Army(神の抵抗軍・以下LRA)に誘拐されたのは1992年のことだった。当時7歳だった彼は、学校の授業中、突然自動小銃を手に現れたLRAの兵士に拉致され、強制的にゲリラ兵として戦わされることになった。その後、全身に銃弾を浴び放置されるまでの10年間、スーダン・ウガンダ国境を行き来しながらブッシュで寝起きをし、銃を手にウガンダ政府軍と戦ってきた。
 「お母さんが危篤だから、村に帰るんだ」
 全身に15箇所の銃弾を受けたマイケルは、前回私がグルを離れる日、突然そう切り出した。グルの町から25キロ離れた彼の故郷近辺は政府軍の勢力外であり、現在も、いつLRAに襲われてもおかしくない状況である。その場にいた誰もが口々にマイケルを止めた。でも彼が誘拐された時、母親を除き全員がLRAに殺害された彼の意思は固かった。
 「危ないのは分かってる。でも、僕に残された、たった一人の家族だから…。インタビューの時言い忘れたけど、僕はもう一つ夢があるんだ。もし結婚できたら、たくさんたくさん子供を作って、にぎやかな大家族を作りたいんだ!」
 何も見えていないはずの彼の目には、CPUで見た子供たちよりも遥かに強い光が宿っていた。私は彼の心の強さに感動し、「マイケルのような人間が、この不毛な戦いを終わらせる原動力になるはずだ」と確信した。
 しかし、今春、彼との再会を心待ちにグルを訪れた私を待っていたのは、「その後、マイケルの行方は分からない…」という無情な現実だった。

 さらにLRAの襲撃を恐れる1万人近くの「ナイトコミューター」と呼ばれる子どもたち(写真)が、周辺の村やキャンプから、日暮れとともにグルの町中に毎日避難しており、子どもたちの健康や安全が脅かされるため、大きな問題になっている。問題が山積みのグル地区だが、最も懸念されているのは、誘拐され兵士として育てられた子どもたちのその後だ。
 敵と遭遇しても怯むことのないようにと麻薬づけにされた体。逃亡防止のため、自分の村に連れて行かれ、強要されて犯した隣人殺し。LRAへの恐怖心を植えつけるための、見せしめ処刑。そして、憎悪。子どもたちの心に巣食うトラウマは深刻だ。
 LRAから逃れてきた子供たちが最初に収容され、事情聴取と簡単な健康診断・治療を行うCPU(Child Protection Unit)と呼ばれる場所を訪れると、まず子どもたちの表情に驚かされる。つい先日まで銃を手に戦っていた少年たちの目は鈍く濁り、少女たちは、はるか遠くにぼんやりとした視線を投げかけているだけで、数十人がひとかたまりになっていても、囁き声ひとつ聞こえないのだ。その生気のない姿は、ありきたりな言葉だが「生ける屍」としか表現しようがない。
 幸いグルでは、国際NGOの「ワールドビジョン」と地元NGO「GOSCO(Gulu Support for Children Organization)」により、誘拐時に受けたトラウマのカウンセリングや、自立した生活を送られるようにと洋裁や木工などの技術を教える、社会復帰のためのリハビリテーションが行われている。
 「どの子もここに来た当初は、目が死んでいて何もやる気がないんですよ。なかには夜になると突然叫び出したり、狂ったように暴れたりする子もいます。でもカウンセリングを何回か受けると、少しずつ自分を取り戻し始めて、早ければ数週間、遅くても数ヶ月で普通に生活が送られるようになりますね。でもこの子たちの受けた精神的苦痛はとてもひどいので、ふとした拍子に、過去に戻ってしまうこともあります。それでも私たちは、この子たちの回復力と心の強さを信じています」
 NGOの副代表を務め看護婦でもあるマーティンさんは、元気良く走り回る子ともたちに囲まれながら、力強くそう語った。
 第二次世界大戦後規定されたジュネーブ協定により「15歳以下の子供の徴兵」が禁止されていたが、抜け道が多すぎたため国際社会は2002年2月「18歳以下の子どもを徴兵禁止(15歳以上の自発的な入隊は除く)」とする「子どもの権利条約」を発行した。だが依然として銃を手に戦っている子どもたちの数は、現在も世界に30万人以上いるといわれている。
 (『世界週報』 2004年9月14日号より)
写真:©下村靖樹 リアルタイムプレス

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