1994年、アフリカの小国ルワンダで起きたジェノサイド( 大虐殺) では80万人以上の人々が犠牲になったと言われています。 しかし紛争終結後のルワンダはどんな国だったのでしょうか?
大虐殺から30年という節目をむかえた2024年。 今日までずっとルワンダに関わり続けてきた小峯茂嗣ARC事務局 長が語ります。
◇スピーカー◇
小峯茂嗣 ARC事務局長
1994年、 ルワンダ内戦とジェノサイドの発生を契機に発足したARCに参画 。1997年からARC事務局長。以来、 ルワンダでのプロジェクトの企画、実施に携わる。
現在、 桃山学院大学講師として紛争問題や多文化共生社会について教えつ つ、大学生をルワンダに引率指導するプログラムも担当する。 90年代から現在までルワンダにかかわり、 紛争後の混沌から現在の発展ぶりのプロセスを知る数少ない日本人 の一人である。
9月24日(火) 20時~ 「①元・少年兵たちとともに」
1997年、 ジェノサイドの終息とRPF中心の新政府ができてから3年、 現地に行った小峯事務局長は、 RPFに所属してゲリラ闘争をしていた元・少年兵たちと出会い、 行動を共にするようになりました。 彼らの思いを様々なエピソードを交えてお話しいたします。
9月27日(金) 20時~ 「②干ばつに見舞われた農村で」
内戦、ジェノサイド、そしてそれに続く難民問題は、 多くの農地を放置させる結果となりました。 ワンダの農業生産量は下がり、 1997年の夏には雨季に入ったにもかかわらず、 雨が降らないために農作業を始められない時期が続いていました。 干ばつに見舞われた農村を訪れた小峯事務局長が、 当時の状況についてお話しします。
10月3日(木) 20時~ 「③帰還難民-サバンナが村になる!?」
現在のルワンダ観光の目玉の一つであるアカゲラ国立公園。 しかしジェノサイドと内戦が終結した後、 1960年代に隣国に逃れていたルワンダ難民たちの多くが、 この地に帰還を始めました。新生ルワンダ政府は、 ルワンダ北東部のアカゲラ国立公園を新しく1つの「県」として、 住宅建設計画を行いました。 何もないサバンナに突如現れた村とは―。 小峯事務局長が当時の様子についてお話しします。